【読書】あやうく一生懸命生きるところだった

こんにちは、あつきです。

今日は、ハ・ワン著「あやうく一生懸命生きるところだった」を紹介していきます。

自分はうつ病になってから生き方や考え方まで全てのことが反転していきました。

そんな現在の自分が読んで、ここにヒントがある!と思った本でした。

働く人、一生懸命に生きている人に読んで欲しい1冊です。

自分が気になったところを紹介していきます。

この本をオススメする人

毎日、走り続けているあなた


今日から、必死に生きないと決めた

一生懸命頑張ることが真理だと、みじんも疑わずにここまで来た。

(中略)

そうして必死にやってきたのに、幸せになるどころか、どんどん不幸人なっている気がするのは気のせいだろうか?

今まで振り返ると、僕もワンさんと同じように、一生懸命ここまで走ってきました。

その結果、自分はうつ病になりました。

そこでどうしても考えてしまいます。

本当にこの道で正しかったのか?

何のために頑張っているんだっけ?

ところで気になるのは、それが何のレースだったのか、まったく見当がつかないことだ。あのレースのタイトルは何だったのか?誰が一番稼ぐでしょうか大会?誰が一番最初に家を買うでしょうか大会?誰が一番出世するでしょうか大会?さっぱりわからない。

何のために頑張っているの?

昔の自分の行動から察するに、お金のため、見栄のためだったと思います。

それが人生を豊かにする方法と信じていました。

しかし、今思うとそれは他人から教えられた価値観であり、そもそも間違ったものだったんじゃない?

「人生マニュアル」を捨てて自分らしく

みんなが正しいと信じる価値観に同意しない者への暴力。なぜまわりに倣わない?説明してみろよと。

みんなと同じようにしなければ、すぐに後ろ指をさされます。

例えば、僕の職場では自分のキャパを超える仕事は断り、いつも同じ時間に帰る人がそうでした。

「あいつは仕事しない」の烙印を押されていました。

本書の中でも登場するが、残業=仕事のやる気の象徴と言うが如く、残業しないものはやる気がないと言われます。

こうして帰りたくても帰れれないという雰囲気の完成。

雰囲気の暴力は何よりも強いです。

でも、本当に恥ずべきは、この年で何も持ち合わせていないことではなく、自分なりのポリシーや方向性を持たずに生きてきたという事実かもしれない。これまでほしがってきたものは全部、他人が掲示したものだった。

これまで他人に教えられた価値観を信じて一生懸命に走ってきたけど、そもそも自分で考えて導き出した結論だっけ?

恥ずべきは、何も考えずにここまで走ってきてしまった自分なのかもしれない。

ある人は言う。「何もかも洗脳」だって。

一生懸命に他人の価値観を生きることは洗脳と同じです。

じゃあ、自分に問う。「本当に欲しいものは何かい?」

もう「金持ち」になるのはあきらめた

だけど金持ちになれなかった。僕だけじゃない。「お金持ちになってくださ〜い」と励まし合っていた国民の大部分がお金持ちになれなかった。目標を叶えられなかった人はたちは、正体不明の敗北感と自責の念を抱いて生きることになった。

(中略)

僕らはみな、お金が最高という物質万物主義の時代を生きている。よく、お金は手段であり目的ではないと言うが僕らは長い間、お金が目標の人生を生きてきた。

(中略)

自分が「どう暮らしたいか」「どんな仕事をしたいか」といった大事なテーマを差し置いて、より稼げる道を追いかけて生きてきた。お金を稼げさえすれば、ほかの問題は自動的に解決するものだと信じていた。

みんながみんな、お金を稼げる方を目指しています。

お金を稼げば全てが解決されると信じて、本当は自分の望むものが先にない道を一生懸命走り続けています。

そして、この道では叶わないと気付き、絶望します。

なんか違う…と。

そこまで深刻に生きるものじゃない

答えを探すことだけに集中し、問題を解く楽しさを忘れてはいないだろうか?なぞなぞは、必ずしも正解しなくていい。間違えても楽しいのだ。しかも、このなぞなぞに正解なんてない。

人生に正解なんてない。

正解探しで消耗するのではなく、正解探しそのものの過程を楽しみたいものです。

しかも、その正解にきちんとした正解はないのだから、自分で決めた正解に向かってフラフラと楽しみながら向かっていけば良いんです。

途中で正解を変えるのもよし、そして、楽しみながら歩いていきます。

自由を売ったお金で自由を買っている

会社員は、自分の時間と引き換えにお金をもらっている。

(中略)

ところが、自由な時間を過ごすコストがかかる。僕が自由を売って集めたお金が、今、再び自由を買うためにごっそり使われている。なんて皮肉なんだろう。でも、サラリーマンが自由を売って稼いだお金を必死に蓄える理由も、将来、自由にクラスためじゃないか。汗水たらして苦労した集めたお金で、結局また自由を買うのだ。ならば、今の僕の状況もたいして変わらないかも。人生は大きな矛盾を抱えているようにも感じる。

生活していくため、もしものため、将来のため、と色々な理由があるけれども、「自由を買うために自由を売る」と言うのは確かに不思議。

自分の自由を売ることで、より大きな自由を買うという感じでしょうか。

しかし、あなたが求めた「より大きな自由」が手に入らないと分かったなら、別の道もあるのでは?

「何もしない」とは、究極の贅沢

自分の時間をほしがっていた理由は、何かをしたいからではなく、何もしたくなったからではないか。

(中略)

時間は、何かをしてこそ意味があるわけではない。時には、何もしない時間にこそ大きな意味がある。

時間のある時にも「何かをしなければならない」という強迫観念がある僕ですが、「何もしない」以上に贅沢で意味のある時間って他にないんですよね。

僕らが休みたいと言うのは、何もしないことを言うのでは?

その「生きづらさ」は、あなたのせいじゃない

こうなりたくて必死に勉強してきたのか?大人たちがいった「幸せ」とはこう言うことだったのか?

(中略)

さらには、当事者である個人にも責任がある。あまりにも大人の言うことを素直に効きすぎた罪。勇気を出して反抗できなかった罪。そう、自分の人生を誰かに委ねてしまった罪だ。

(中略)

僕らの社会は正解が決まっている。その道を歩まない限り、後ろ指をさされる。

決められたレールを歩いてきた自分。

こんな風になるために必死に勉強をしてきたのか?

きっと勉強を強要した大人たちは幸せを知らなかったのではないだろうか。

誰かが言った幸せになる方法を鵜呑みにして、それを正解として強要したのではないだろうか。

僕らは選択できる。

後ろ指をさされるが、それを無視できれば僕らは自由だ。

★お金のために自由を後回しにしない

お金が稼ぐ行為そのものは同じだが、その行為に臨む心が変化したのだ。よくわからない未来のためじゃなく、現在の自由のために稼ぐ。だから、お金を稼ぐことをやめられはしないが、すでに自由だ。

この考えが好きです。

未来のためじゃなく現在のために稼ぐ。

それでいいのではないでしょうか。

そうすれば必要以上にお金を稼ぐ必要も、貯め込む必要もないのではないでしょうか。

さよなら一生懸命の人生

同じ人生なら「一生懸命」より「楽しく」

(中略)

でも、この「一生懸命」という言葉には、嫌いなことを我慢してやり遂げるという意味が含まれている。つまり、楽しくないのだ。だから、一生懸命に生きるのはつらい。それは我慢の人生だから。

(中略)

結果のために耐えるだけの生き方ではじゃダメだ。過程そのものが楽しみなのだ。

(中略)

ふう、あやうく一生懸命生きるところだった

最後は僕からのコメントはなしにしようと思います。

おわり

途中、ですます調が崩れるほど熱く書いてしまいました。

考え方を変えてくれるようなアイデアを教えてくれました。

皆さんも是非読んでみてください。